現在修理が進む国宝「西塔」最上部から2018年に発見された舎利容器。當麻寺で金・銀・銅で三重に封ぜられた白鳳時代の仏舎利が見つかったことは大ニュースとして報ぜられました。
発見された舎利容器がついに2019年2月19日より奈良国立博物館で一般公開されます。
舎利とは骨のことです。仏舎利とはつまりお釈迦様の骨のことを言います。お寺の象徴と言えば塔ですよね。三重の塔とか、五重の塔とか京都や奈良の風景として親しまれています。あの塔の由来はインドにあって、インドではストゥーパという饅頭形の建造物がそれにあたります。ストゥーパの役割はお釈迦様の「お墓」。お釈迦様の骨は大きく8つに分けられてインドとスリランカに埋葬されています。
仏教が中国に伝わると塔は背が高くなりました。日本に伝わるころには皆さんご存じの今の形になったわけです。
今のお寺の形を思い出してください。お寺の中心には大きな本堂があって、塔は遠くから見えるけれどもどちらかというと本堂の横だったり、離れたところだったり脇にあるイメージですよね。けれども日本に仏教が伝わった当時、もっとも大切な建物は塔だったのです。
日本で最初に本格的な伽藍を整えた法興寺(今の飛鳥寺)には、中心に塔があり、その三方に3つの金堂(今でいう本堂)が建てられたそうです。日本書紀によると推古天皇が即位して行った最初の公務が、工事中の法興寺の塔の心礎(塔の心柱のしたにある礎石)に仏舎利を修めることでした。奈良時代初頭までは仏教のメインとなる崇拝対象は仏舎利だったのです。
當麻寺は西暦612年に創建され、681年に現在の地に移りました。
今までの通説では、金堂や梵鐘が先に造られてその後に時間を空けて東西の二つの塔がまずは東塔、次に西塔と100年以上かけて整えられたということになっていましたが、今回の西塔保存工事の調査結果と仏舎利の発見でその説は覆されました。
金堂・西塔・梵鐘はほぼ同時期(681年頃)に建立され、東塔は当時の西塔を模して後に建立された。というのが最新の見解です。そして今回発見された仏舎利がその大きな証拠となっているのです。
現在、日本仏教草創期の遺構はあまり残っていません。歴史の古い寺院は沢山ありますが、ほとんどが戦乱・火災・荒廃の歴史の中で、草創期の記憶を留めていないのです。當麻寺はその中で希有な存在といえます。
舎利容器に限って言えば、大般涅槃経に基づいて金銀銅の三重に封ぜられた状態で発見されたのは、崇福寺塔心礎納置舎利容器(国宝・滋賀・近江神宮所蔵)、摂津三島廃寺塔心礎納置石製舎利容器(重文・東京国立博物館蔵)、そして昭和初期に発見されるも心礎の下に再納入された法隆寺五重塔の舎利容器のみです。さらにこの三点は土中に埋没していたため保存状態が良いとはいえません。
対して當麻寺は、塔の心柱の最上部に納入されていたため腐食も変形もなく、ほとんど納入時(つまりは白鳳時代)の状態のまま発見されました。
↑発見を報じる新聞。多くの全国紙の表紙で報じられた。
白鳳時代からのタイムカプセルともいえる仏舎利容器。奈良国立博物館で一般に公開されることになりました。期間は2月19日~3月14日。ぜひ奈良まで足を運んで下さい。
開催時期 | 平成31年2月19日~3月14日 |
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開催場所 | 奈良国立博物館 |
見学料など | 奈良国立博物館にお問い合わせ下さい。 |
参考サイト | 奈良国立博物館 |