一言法話
第13話
平成21年6月
 先月、近畿地方をはじめ日本中にインフルエンザの嵐が吹き荒れました。当初は本当に命に関わる問題として扱われていました。

 我が家は9人家族ですから、これはマスクを買わなくてはと、マスクを買いに朝一番で駅前の薬局へ参りました。棚に並ぶ5枚入りの箱では、今後のことを考えたときにとても足りそうにありません。

「もっとたくさん入っているのはないですか?」

 出て参りました。百枚入り1200円、安い。すぐ買いました。

 その日の夕方、買ったマスクをつけて買い物に行くとマスクが売っていません。百円ショップも、ドラッグストアーも、どこにいってもマスクが売り切れ。最後に立ち寄ったスーパーで売っていたマスクは、なんと一枚200円。しかし買いました。朝100枚買ったにも関わらず、一枚200円で、しかも五枚。

 その後、家に帰って見るテレビでは繰り返し報道していました。

「関西の方ではマスクがありません、どこにもありません。」

 良かった。我が家には百枚入りのマスクがある。さらに上等なマスクも手に入った。これでしばらくは大丈夫、と胸を撫で下ろしたのであります。

 その後もテレビが薬局を取材していました。そこに来たおばあちゃんに取材をする。
「おばあちゃんマスクを買いに来たんですか?もうありませんよ。」
「朝から何軒も回っているけれど、どこにもない。明日からどうしよう。」

 このおばあちゃんの姿を見たときに、罪悪感にさいなまれました。このおばあちゃんは明日のマスクがない。我が家には百枚以上のマスクがある。なぜ自分のことしか考えることが出来なかったのであろう。

 自分や子ども、家族の為ならば他の人は二の次にする。ほぼ全ての人に当てはまる事でないかと思います。しかしながらこれは我々が救われがたい生き物であると示しているのですね。「生きたい」「家族を守りたい」という欲から無意識に罪を犯しているのです。このような罪を積み重ねて生きていかなくてはなりません。

 法然上人が京都真如堂の阿弥陀仏から授けられたというお歌に

    ただ頼め よろずの罪は 深くとも
                わが本願の あらん限りは

とあります。

 「どのような罪深い人でも阿弥陀仏の本願がある限り、阿弥陀仏の救いを信じ、極楽に生まれたいと願い、念仏を称えたならば必ず救われます。ただ一心に頼みなさい。」

 自身の姿を振り返ると、ただ一心に南無阿弥陀仏と称えることしかできないのです。


第12話
平成20年12月
 今年も師走、12月がやって参りました。

 仕事の締め括り、忘年会、大掃除、学生の方は試験にと慌ただしい年の瀬をお迎えのことと思います。年の瀬の定番はいくつもありますが、忠臣蔵を見て一年の終わりを感じる方も多いのではないでしょうか。
 ご存じ大石内蔵助が無念の死を遂げた主君の敵を討つために四十七士を集め吉良上野介の屋敷に討ち入るドラマのハイライト。しんしんと雪の降る中を、当代の名優方が神妙な趣で見事に演じます。

 この物語の題材となった赤穂義士事件は、元禄十五年(西暦一七〇三年)十二月十四日に起こった出来事です。その後、討ち入った浪士達は人々から賞賛され、切腹の後もその子孫達は他の大名に優遇を受けたそうですが、反対に討ち入りに参加しなかった家臣達はその子孫にいたるまで不忠義者と呼ばれ苦労をしたそうです。
 武士にとって敵を討つ、恨みを晴らすということは義務のようなものであり、美徳と称されていたわけですね。

 さて、それを遡る560年ほど前、その重要な敵討ちをしなかった武士の子がおりました。当時9歳の彼はその後不忠義者と呼ばれるどころか、数百年にわたって賞賛される偉大な人物になります。
 名前を勢至丸。法然上人の幼名でありました。

 勢至丸さまの父、漆間時国様は家臣を持ち、領地を統治する武士でした。そこに京都から命じられて明石定朗という武士が赴任してきたのです。定朗は思い通りにならない時国様が邪魔になり、ついにある夜、時国様の寝込みを攻めて命を奪おうとしました。なんとか追い返したものの重傷を受けてしまい、助かる術が見つかりません。自分の死を悟り子の勢至丸さまを枕元に呼びます。武士の子として敵討ちを誓う勢至丸さまに対し、

「敵を討つな。相手を恨み敵を討てば、また相手がおまえを恨み命を狙ってくる。どうか出家をして父の菩提を弔ってくれるように。」

と言葉を残しお亡くなりになりました。大切な父を目の前で失う。その恨み・悔しさ大変なものであったでしょう。武士の子として敵を討ちたかった。けれども父の遺言を守り出家されるのです。

 現代はどうでしょうか?
 国が違う、宗教が違う、考えが違う、皮膚の色が違う、貧富・身分が違う。人は皆少しずつ違うはずなのに、いつしかその「違い」が「相手を許せない」ということになり、「憎しみ」に変わる。そしておこった事件が新たな「憎しみ」を生み、また新たな事件がおこる。時国様がおっしゃった「憎しみ」の連鎖の世界が今、世界中に広がっています。日常生活の中にも広がっています。

 なんとかして欲しい。なんとかしたい。けれどもただ傍観している自分がいる。無力さを知るばかりです。

 法然上人は晩年、四国流罪になるときに、

「私が極楽に生まれたならば、この度流罪になるように仕向けた人々も、
そのこと自体を縁として救いたい」

とおっしゃいました。
 改めて法然上人の偉大さを実感するのです。


第11話
平成20年10月
 この夏一番のイベントと言えば、やはり北京オリンピックを挙げることになるでしょう。

 個人的に一番の感動を味わったのは日本女子ソフトボールの優勝でありました。ソフトボールがオリンピックの正式競技となってから常に頂点にあったアメリカを破り、日本が世界の頂点に登りつめる瞬間を、テレビを通してではありますが目撃することが出来た。喜びのあまり叫んでしまいました。

 次の日、あるコメンテーターがこう言っておりました。
「ソフトボールで金メダルを取ることは日本の『悲願』だったんです。この『悲願』という言葉を負けたアメリカの言葉、英語に翻訳することが出来ません。『悲願』というのは日本独自の言葉だし、想いなんです。」

 この『悲願』という言葉は、古くから仏教の特に阿弥陀様に対して用いる言葉であります。阿弥陀様が私たち衆生を何としてでも救いたい。とたてられたお誓いがあまりにも慈悲深い願いでありましたので、その願いによって救われることを阿弥陀様の大悲願力によって救われるんだ。阿弥陀様の悲願なんだと申しました。そこから「是が非でも何かを実現しようとする願い」のことを『悲願』というようになったのです。

 阿弥陀様の『悲願』とは何なのか?
 阿弥陀様が私たちの為に誓われた願いとはどのようなものか?
 阿弥陀様は私たち衆生をよくよく観察されました。そして修行に耐えることができない人、善を積むどころか生活の中ですら知らず知らず悪を重ねる人がほとんどであると気づかれたのです。仏の道からかけ離れた人ばかり。私たちもその例外ではありません。多くの仏様も救いの手を差しのべることが出来ませんでした。しかしただ阿弥陀様だけは私たちを見捨てませんでした。

 どうすれば仏の道から程遠い人々を救うことが出来るのか?

 永きにわたり悩みに悩まれ、ついに苦しみのない極楽浄土という国土を建てて、南無阿弥陀仏と名を称え救いを望む人を誰であろうとも救い導くというお誓いをたてられました。
 けれども何の修行も善行もない人を救うというのはものごとの道理から外れています。そこで次に阿弥陀様はさらに永い修行をされるのです。もうすでに阿弥陀様は仏になることができるほどの修行はされておられました。その上さらに修行されたのは私たちの代わりにであります。本来極楽浄土に行くために、私たちがしなくてはいけない修行を
「代わりにしておく。そしてその功徳を全て『南無阿弥陀仏』に込めておくから、あなた達は南無阿弥陀仏と称えるだけでよい。」
とのご修行であります。

 全ての態勢を整えて、
「さあ、念仏称えなさい。あとはあなたが称えるだけですよ。」と待っておられる。
 そんな仏様が阿弥陀様なのです。私たちが南無阿弥陀仏と称えることは、待ちに待った阿弥陀様の悲願なのです。


第10話
平成20年7月
 先日、東京の浄土宗大本山増上寺に行く用事があり、午前に2時間ほど時間に余裕があったので山手線に乗って上野にある国立科学博物館に参りました。
 学生時代以来久しぶりの満員電車に閉口しましたが、朝の上野公園に降り立つと都心にもかかわらず緑薫る風。深呼吸をして体内の空気を入れ換えた後、科学博物館へと向かいました。
 国立科学博物館には日本と世界の動植物や鉱物の標本・剥製・化石を始め、人類の発明、自然科学・宇宙物理などの原理原則を体験して学べるコーナーなどがあります。
 アンモナイトや恐竜やマンモスなど絶滅した動物の化石などを見学していますと、

「あぁ、この動物たちも大昔はこの地球を我がもの顔のように泳ぎ、歩いていたんだな。けれども人類ほど全てを達成していった動物はいないなぁ。」

と、少し鼻高々な思いをいたしました。

 我々人類は、爪や牙がないから道具を使い、夜が暗いなら明かりを、病に苦しめば薬を、遠くに行く為に船で海を渡り、ついには空を飛び、深海に潜り、果ては宇宙・月まで行きました。こんな動物は地球で初めて。
 先のアンモナイトも恐竜もマンモスも、人類がいなければ暗い土の中から発見すらされなかったのです。今、彼らが注目されているのは、まさに人類の技術のおかげがあったわけです。

 ところが地球を我がもの顔で支配している我々人類が今、自身の力で苦しんでいます。科学の発展が招いた温暖化・環境汚染。増えすぎた人口による食糧危機。かつてのアンモナイトや恐竜やマンモスのように、次は人類が絶滅しかねない。映画のような現実が待っているかもしれないのです。

 平家物語の有名な一節に、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
       盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
          唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、
         偏に風の前の塵に同じ。
とあります。

 お釈迦様のおられた祇園精舎の鐘の音には、この世の全てが無常であるというお釈迦様の教えが響いている。沙羅双樹の美しく咲く花には、花がいずれ褪せ、枯れてしまうように、盛んなものも必ず衰えることを表している。我がもの顔に権力を振るった人であってもそれが永く続く訳ではなく、春の夜にまどろみの中で見る夢のようなもの。我がもの顔に猛々しく力を振るった人もついには滅びる。風に吹き飛ばされる塵のようなもの。

 権力を欲しいままにした平家が源氏に追い落とされることを、仏教の教えに照らし合わせて謡った一節です。
 この平家物語には法然上人も登場されます。源氏に捕らえられ刑場に送られる途中の平重衡と法然上人。

「私は以前法然上人と出会いながら、政務に追われ、驕慢の生活をし、戦に明け暮れて善い心を全く起こさず悪い心の中にありました。死を言い渡された今、後悔するばかりです。こんな私が救われるにはどうすればよいのでしょうか?」

と願う重衡に法然上人はお念仏を勧められます。

 人類最後の時に法然上人がおられて、

「法然上人、明日人類は滅ぶそうです。私たちはどうすればよいですか?」

と尋ねることができたのならば、

「最後の息が絶えるまで念仏を称えなさい。そうすれば極楽に生まれることが出来るのですから。」

と教えてくださるでしょうね。


第9話
平成20年2月
 中国中部青海省からチベット・ラサに向けて一本の国道が走っています。最も高いところは高度5千メートル以上。富士山よりもさらに高いところを通る国道をトラック運転手は高山病をこらえて走ります。
 その道を青海からラサ、そしてインドへ五体投地という礼拝をしながら進む青年がいます。1メートル程進んでは体全てを地面につける礼拝。起き上がって進んで礼拝。2002年青海を出発し、インドには2016年到着予定。生活も何もかも捨て、高山病や厳しい気候にもめげず、信仰の道を進む青年の姿があります。今この時間も彼は礼拝をしているはず。

 その目的地インド。お釈迦様が悟りを開かれた聖地はブッタガヤと呼ばれ大きな塔「ブッタガヤの大塔」がそびえます。
 そこでも多くの人が掃き清められた大地の上で、同じ五体投地の礼拝をしておられます。数分では無く数時間。人によっては日の出から日の入りまで。

 私がインドを訪れたときは、八十に近いと思われる一人の女性が、周囲数百メートルある塔の周りをゆっくり黙々と礼拝をし、回っておられました。

 二千五百年も後の人々にも救いを残されたお釈迦様。多くの人の信仰を集める仏様です。

 お釈迦様は旧暦の二月十五日、満月の日に八十歳の生涯を閉じられました。これを「涅槃」と言います。旧暦のことですので、現在の暦では三月中旬になります。
 集まったお弟子様方にされた最後の説法は「遺教経」として今に伝わっております。
 その本当の最後には

「皆よ。悲しんではいけない。会う人とは必ず別れるのです。私はすべきことを全てし終わったのです。なくなるものに執着してはいけません。この世の全てのものはやがて滅するものです。汝らは怠らず努めなさい。」

と示されました。

「汝ら怠らず努めなさい。」とは、

「あなた達にも死は必ずやってくる。怠らず精進してそれに備え乗り越えよ。」

ということでしょう。

 平安時代の僧侶で歌人でもある西行法師は続古今和歌集に
「願はくは花の下にて春死なん、
 そのきさらぎの望月のころ」
と歌います。

 如月の望月とは、二月十五日。
 お釈迦様を慕い、尊敬し、信仰して同じ頃に死にたいと願い、それは西行法師七十三歳の時に叶います。

 私はいつのころ死にたいか?

 お釈迦様のお言葉を噛みしめ、西行法師の生き方を見つめて、考え・反省する日々であります。そして私が死に備えることが出来るのは念仏しか無いな。とても他のことでは無理だな。と思うのです。


第8話 平成19年10月  手を合わせて「いただきます。」
と言わせない幼稚園・小学校がこのところ増えています。主に保護者からの要望で、特定の宗教に偏っているとの指摘を受けてだそうです。
 困った先生は「よーいドン」と言ってみたり、笛を吹いてみたり。本当にこれでいいのでしょうか?
 確かに「いただきます」は仏教の思想からきています。人も生きているように牛も豚も鶏も魚も生きています。何も食材として生きているわけではありません。その命を精一杯生きているはずです。野菜も生きています。顕微鏡で細胞を見てみると小さな玉が小さな細胞の中をセッセ、セッセと動いています。私たちはこれら生き物を食べないと生きていけません。
 また、食べ物は人の労力無くして私たちの口には届きません。米・野菜を作るのも、牛を育てるのも、深夜に遠くまで運送するのも、切ってパックに詰めるのも、調理をするのも人ですね。
 「いただきます」にはその命をその苦労をいただきますという大切な意味が込められているんですよ。と説明すると「お金を払ってるんだからそんな必要はない」と言った人もいたそうです。悲しくなりますね。
 私たちは、生きるために仕方なしに他の命を食べます。その命を奪っているんですね。同じようにかゆくなるのが嫌だから仕方なしにパチンと蚊を叩きます。害虫だから仕方なしにゴキブリを駆除し、害を恐れて仕方なしに猿や猪も駆除します。それは仕方の無いことです。私たちも生きて行かなくちゃなりませんから。仕方がなく罪を造ってるんですね。

 阿弥陀様はこんな風に罪を造らないと仕方がない、生きていけない私を救うために長く思案され、永く御修行下さり、極楽浄土にお念仏を称えることで救い取るぞとお誓いを立てて下さいました。
 私はこのことに大変安心するのであります。
 けれども罪を造っているということを決して忘れてはいけない。「いただきます」と言わないことは、つまり罪を忘れていることになりますもんね。

 それと、仕方がないという言葉で私たちはもっと恐ろしい罪を造ってしまうかも知れないのです。
 9月後半に起きたミャンマーの民主化デモ。国民の9割が敬虔な仏教徒の国で多くの僧侶がデモの先頭に立ちました。政治に関与しないはずの僧侶が先頭に立つ。ミャンマー国民の苦しみを浮き彫りにする事件でありましたが、9割が仏教徒ということは兵士の9割、十人に九人が仏教徒であるという計算になります。仏陀の弟子に暴力を振るい、寺を破壊することは重罪であると子どもの頃から教えられているはずの兵士達は何を思い行動したのでしょうか?
 「仕方が無く」という言葉・環境・立場は、私というものを木ノ葉のように吹き飛ばしてしまう力を持っています。生れる時代が異なれば、国が異なればどうなってしまうかわからない。これからの環境が変わってしまえばどうなってしまうかわからない危うい存在が私であります。
 それでも救おうと言って下さる仏様がおられる。本当に安心するのであります。

 罪は十悪五逆の者も生ると信じて、
      少罪をも犯さじと思うベし。
   罪人なお生る、況や善人をや。

 これは法然上人のお言葉「小消息」の中の一節です。
 南無阿弥陀仏のお念仏を称えることで十悪五逆といった重い罪人も極楽浄土に生れると信じて、たとえ小さな罪も犯さないぞと思いましょう。罪人でも生れるのです。どうして善人が生れないことなどあるでしょうか?

まずは「いただきます」と「南無阿弥陀仏」と口に出すことから始めましょう。



第7話 平成19年7月  私事ながら、今年度は私を含めて同窓生達が三十歳を迎える年であります。何かの機会に友人達と話しをしますと、転勤した。昇進した。部下ができた。転職した。という声を聞くようにもなりました。
 「出世」という言葉があります。この「出世」という言葉、実は仏教から出た言葉なのです。私たちが使っている日本語には多くの仏教語が含まれています。一番有名な言葉は「利益」。これを「りえき」と読むと商売の言葉、「りやく」と読むと御利益とかお参りの言葉になります。
 「出世」もその一つ。現代では「会社などで昇進すること」という意味で通常用いられていますね。けれども本来は「世に出ること」特に「仏が人々を救う為にこの世に生れること」という意味で用いられていました。ですから仏教では昔から、お釈迦様の誕生を「出世」と呼んでいます。

 法然上人のお言葉には、
「念仏は弥陀にも利生の本願、釈迦にも出世の本懐なり。」(南無阿弥陀仏のお念仏は、阿弥陀様にとって苦しみの人々を救い導びこうと仏に成られる前に誓われた願い、お釈迦様にとってお念仏を説き伝えることは、お生まれになられた本当の目的でありますよ。)とあります。
 お釈迦様の国インドは、現代でも厳しい階級制度カースト制が社会の中心にあります。階級をまたぐ結婚は考えられず、生れたときに将来つく職業が決められています。
 2500年前のお釈迦様の時代はもっと厳しいものでした。神のように崇められる人間と、物に劣る人間が生れたときから分けられていたのです。けれども老若男女、貧富、身分の貴賤を問わず全ての人に生老病死の苦しみがやってくる。王族であった若きお釈迦様にも平等に死の恐怖がやってくるのです。
 「私を含め全ての人が救われるにはどうしたらよいか?」
 これが仏教を開かれる始まりとなりました。南無阿弥陀仏のお念仏はその究極であります。
 「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様を信じ、救われたいとお念仏を称えるだけで救われる。苦しい修行でない、身分財力時間の有無を問わない、誰もができるお念仏に苦しみの人々が救われる万徳の功徳が阿弥陀様によってこめられている。お釈迦様はこのお念仏を伝えるためにお生まれになり、悟りを開かれた。そして長い時を経た現代にもちゃんとその御教えが伝わっております。

 法然上人はおっしゃいました。
 「お釈迦さまに会うことができなかった事は哀しみですが、その教えが伝わっている世に生れることができたのはよろこびです。」
 私もお念仏に出会わせていただきました。いつまで続くかわからないこの命ですが、いつまでかわからないからこそお念仏の称え続ける生活をしないといけませんね。

 二倍生きられたら六十歳、
 三倍生きられたら九十歳、
 父の世代、祖父の世代を意識しながら誕生日を迎えることになる今年度であります。



第6話 平成19年4月  去年の12月、アメリカ南部テネシー州のメンフィスというところで、一人の女性がお亡くなりになりました。エリザベス・ボールデンさん。生まれは1890年。当時の長寿世界一として116歳の人生でありました。
 何よりの驚きは子孫の数。
 子ども 7人、
 孫  40人、
 ひ孫 75人、
 玄孫(ひ孫の子)150人、
 来孫(玄孫の子)220人、
 さらに来孫の子ども昆孫が75人。
 エリザベスさんから数えて一族7世代、
五百人以上。一人の女性が存命中にこれほどの子孫を残したのもギネス記録ではないだろうかと新聞は報じています。
 この記事に驚くと共に「来孫」「昆孫」という言葉に初めて出会いました。
 私たち人類がこの世にはじめて登場して、少しずつ子孫を増やし、歴史を作ってきたその過程を垣間見ているような気がいたします。

 浄土宗の宗祖法然上人は中国唐時代の善導大師を師として仰がれました。善導大師はその著「発願文」の中で、「願わくは弟子等・・・」
「願わくば私たちお釈迦様の弟子達は・・・」と、自らがお釈迦様のお弟子であると強調されました。時が離れていても、国をまたいでいようとも、お釈迦様の教えを受け継いでいることは善導大師も法然上人も私たちも同じであります。
 今から二千五百年も前にお釈迦様によって開かれた仏教が多くの人を経て現代の私たちに伝わっています。特に、お釈迦様は直接会い、直接話して救うことの出来ない私たちのために、阿弥陀様のお話をしてくださりました。
 私たちの苦しみを知り、何とかして助けようとされる阿弥陀様とお釈迦様。二仏の言葉を信じてお念仏申してゆくことが、私たちの進むべき道であります。

 冒頭のエリザベスさんから見て昆孫の子ども達はどれほどまで愛しい存在だったでしょうか?
 仏様も私たちを愛おしんで下さっております。私たちも精一杯その想いに答えなくてはなりませんね。


第5話 平成18年10月  お月見の秋になりましたね。
 日本では寒い冬を忘れる花見と、うだるような暑さを忘れる月見と言えば行楽の代名詞であったそうです。花や月は、たとえどんな人であっても分け隔て無く美しい姿を見せてくれます。

 月々に月見る月は多けれど、
         月見る月はこの月の月。
 名月を取ってくれろと泣く子かな、
        月天心貧しき町を通りけり。

 月にはこんな話があります。
 昔々、地上で仲良く暮らしていた狐と猿とウサギがいたそうな。天の神様が本当にあの三匹は仲が良いのかどうか試してやろうと、地上に降りてこられてみすぼらしいよぼよぼのおじいさんに化けられた。
 おじいさんヒョコヒョコと歩いて、森の外れでばたりと倒れた。
狐、猿、ウサギの三匹寄ってきて

「おじいさん、どうなさったんです?」

「この間から何も食べておりませんので、お腹がペコペコに減っております。どうぞ助けていただきますように。」

 狐、「承知しました。」といって川に飛び込んで魚を捕り、
「どうぞおじいさん、お食べ下さい。」

 猿は早速、森の中に入っていって木の実を取って、
「おじいさん、お食べ下さい。」
「ありがとう。ありがとう。」

 あとに残ったのはウサギ。上手に魚捕ることはできない。木の実を取ることもできない。森の中探し回ってもとうとう食べ物見つけることができなかった。しばらく思案していたウサギが
「猿さん、すみません。木の枝を集めてきて下さい。」
「狐さん、すみませんがこれに火をつけて下さい。」
 ぼうぼうと火が燃えだした。
 ウサギ何を思ったか
「おじいさん。私がこんがり焼けましたら、どうぞ私をお食べください。」
と言うや、焚き火の中へ身を投げたそうな。
 天の神様、健気な者だというので、ウサギを連れて帰って月に住まわした。で、今でも月にウサギがいるのだそうです。

 お寺に関係する言葉の中に「布施」というのがありますね。今では僧侶への御礼のような使われ方を致しますが、本来は自分の物に対する執着を捨て、徳の高い人や貧しき人に衣食住を施すことを言います。ウサギは人の命を助けるために、自分の持っているたった一つの身を投げ出しました。私がこのウサギだったとして同じ行いができるでしょうか?たぶん無理でしょう。恐怖もあるでしょうが、なにより自分の命への執着がありますから。
 どうしてもこの執着を無くすことができない凡夫を救うために、私たちに成り代わり、私たちのすべき善行修行を身を削ってすでにして下さった方が阿弥陀様であります。自分の身を顧みず、全てを捨てて兆載永劫という計りしえない時間を私たちに費やして下さったからこそ、今、私たちは南無阿弥陀仏と称えるだけで救われるのです。


第4話 平成18年6月

 涼しい春も完全に終わり、またジトっと暑い日本の夏が近づいて参りました。この夏はいったいどんな夏になるでしょうね。天気予報によりますと平年並みとの事ですが。。。

 六月一日は気象記念日に選定されているのをご存じですか?。
 明治八年六月一日東京で気象と地震の観測が始まったのを記念して制定されたものです。明治十七年六月一日には全国の天気予報が開始されています。当時の天気予報は

 「全国一般、風ノ向キハ定マリナシ天気ハ変ワリ易シ 但シ雨天勝チ」

という一文で、全国一律で1日1回、また発表の方法も、東京市内の交番に掲示されただけ、というものだったそうです。まあ、大変おおまかなものですね。そんなことから昔は「天気予報を聞きながらフグを食べれば当たらない」と冷やかされたそうですが、現在に至っては3ヶ月先の天気予報までしておりますし、

 週間天気予報の的中率 70%     
 明日の天気の的中率  80%

と言うぐらいですから、技術の進歩はすごいですね。

 その反対に天気予報に対する満足度が落ちている。との話もあります。気象庁の調査で、「満足している」は14%しかなく、「予想が外れる」ことに不満が多い。最近では「暖冬予想」が外れたことに不満が募ったみたいですね。季節物商売をしておられる方や、農作物を育てておられる方にとって天気の善し悪し、気温の高低は生活の一大事であると思います。そうでなくとも、かさばる傘を持って出かけたものの青空見えるいい天気だったら、なんだか損をした気分になりますもんね。
 それだけ信じて、頼っているのかもしれません。

 先日、ドラマの台詞だったでしょうか、

「俺の人生の天気予報があったらどんなにいいだろう。」

というフレーズをテレビから聞きました。確かにあったら便利かもしれませんがさてどうでしょうか?
 いい予報ならば、それは楽しみで楽しみで待ち遠しいことでしょう。でも、いいことが続く保証はありません。悪い予報ならばどうしましょう?逃げて逃げて逃げまくるのでしょうか?また予想がはずれた時、その不満は天気予報の比ではないですね。
 なにより先の見える人生って楽しいのでしょうか?

 「栄枯盛衰」と申します。
 十年後。五年後。一年後。一ヶ月後。一週間後。明日。どうなってしまうかわからない私たちですから、何か一つ、100%信じられるものを持ちたいですね。

 法然上人のお言葉から

「はじめには わが身の程を信じ、
    のちには佛の願を信ずるなり。」



第3話 平成18年4月
 小学生の時、プラネタリウムに勤めていた叔父が庭に自前の望遠鏡を出してきて、私に土星を見せてくれました。ドキドキしながらレンズ越しに見た輪のある星を、今でもよく覚えています。

 土星は太陽の周りを回る惑星で地球から約14億q(月までの距離の3700倍)離れています。1977年にこの土星に向けて一機の探査機が打ち上げられました。ボイジャー1号といいます。1980年土星に到着したボイジャーは1万6千枚の写真と膨大な量の観測データを送ってきました。太古から土星を見上げ続けた人間が、ついに造ったものを到着させたのです。

 現在、私と同い年のこの探査機は土星を遙かに通り過ぎて、地球から147億4千万qの所を飛行してます。人間の造ったもので現在一番遠くにあるのがこのボイジャー1号なんですね。離れに離れてついに太陽圏を抜け出そうとしています。次の探査は太陽の力が及ばない所を調べる事。ボイジャーは未知に挑み続ける人間の象徴なのです。

 現代社会は科学万能、科学で解明できないことはないと多くの人が考えています。しかし、実際には科学で解らないことは無数にある。一つの事を解明するとまたその先に解らないことが出てくる。一つの病気を克服すると、また新たな病気が見つかる。という具合。過去何千年、何百億人という人間の頭脳、力、才能を結集しても解らないことが無数にある。その中の私一人、なんと無力無知なことでしょうか。

 そしてさらに解らないことがある。知らないことがある。それはこの身体に宿る自分がどこから生れ、どこに去っていくのか?肉体ではなくて、今、物事を考えているこの自分は一体何なのか。これも長年の謎なのです。平安から鎌倉時代を生きた鴨長明は方丈記に

「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。世の中にある人と住家すみかと、またかくの如し。」

「朝に死し、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る。また知らず、假の宿り、誰がために心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。」

と表わしております。激動の時代に生きた鴨長明はこの世の無常に直面し、この世における自分とは何か?を問いつめ、己の愚かで智慧のないことを嘆いたのです。

 この愚かで智慧のないことを仏教用語で、「愚痴」
または「無明」と言って、全ての煩悩の原因としています。漢字の意味は、愚かでものの道理を解さないこと。自分を振り返ってみると、確かにそうです。こんな愚痴の私だから、もう阿弥陀様を頼って信じて

「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」
と称えるしかないんだと改めて実感しました。

 先の探査機ボイジャーは将来、電池が底を尽いて地球に信号が送れなくなります。その後は、ただのゴミになるのか?いいえ、実は手紙を積んでいるのです。レコード盤の様なものの中に絵と音が情報として収め、宇宙人に解読してもらおうと。収められた音の中には日本語もあるんですよ。女性の声で
「こんにちはお元気ですか?」

 宇宙人がどうやって日本語を解読するのかはわかりませんが、宇宙人へご挨拶だなんて、なんだかロマンがありますね。

 私は阿弥陀様へのご挨拶。南無阿弥陀仏〜


第2話 平成17年12月

 今年もついに師走を迎えました。冬を迎えるとインフルエンザの流行が気になりますね。皆さんもどうかご用心下さい。
 今年流行したといいますか、猛威をふるった一つにスズメバチを挙げることができます。梅雨に雨が少なかったせいか、お寺のあちこちをブンブン! テレビもスズメバチの話題を取り上げるほどでした。テレビは色々な対策を伝え、私も身の安全の為、熱心にノートまで取ったのです。

一,巣に近づかないこと。

一,身を屈め、ゆっくり後ずさりすること。

一,なにより、黒い服を着ないこと。

 その時、テレビ脇の鏡に映る自らの姿は、お参りのいつもの黒い改良服。これはどうしたものか・・・? お参りに行くには着ないわけにはいかない。思案に思案を重ねても有効な対策が見つかるわけはなく、そうこうしている内に秋になり冬になり、どうやら今年は事なきを得たようです。

 テレビはスズメバチが害虫を食べてくれる益虫であるとも教えてくれました。人間と共存出来るのだと。でも、いざというときには巣と仲間を守るため命をかけて攻撃してくるのです。

 生命は自らを守るため、種を守るために、ある者は針を持ち、ある者は棘で身を被い、ある者は毒を蓄え、ある者は爪牙を磨いてきました。先に挙げたインフルエンザもウイルスという小さな生命体で、種を増やすために動物の身体を住処としているのです。生きるために得た進化。
 これは私たち人間も同じではないでしょうか? 自分を守るため、家族を守るためにと身体は時に刃となり、言葉は時に棘となり、心は時に毒となって他を傷つけているのではないでしょうか? 時には愛する人や、いとおしい家族まで。そして、自らの武器に気づくことなく、相手の武器を恨み怒る。

 自分のことを「我」と言いますがこの漢字、漢和辞典で調べると「戈」という「ほこつくり」に属する漢字になります。戈とは槍と鎌が一緒になった武器です。「我」の字はそこにギザギザの刃先が付いているとあります。「我」という武器を振り回して、人は傷つけ合い、いかり憎しみあってしまうのです。

 この怒り心を仏教用語で「瞋」と申します。「我」を無くすことができれば、「瞋」を無くすことができれば、どれほど多くの人を幸せに出来るでしょう。でも、私にはとても無くすことが出来そうにありません。ですから、年の終わりに当り、この身と、口と、心で傷つけた方々に懺悔するしかないのです。

 そして来年こそ、せめて手の届く人には優しくありたいものです。

我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡
従身語意之所生 一切我今皆懺悔


第1話 平成17年9月

 暑かった夏も過ぎ去りて、気が付けば涼やかな風を感じる季節に成りました。稲はまだ青いながら穂をつけて、秋の実りを予感させてくれます。味覚シーズンの到来ですね。毎年、誘惑に負けてついつい食べ過ぎてしまいます。

 昔こんな話を聞きました。

 ある時お腹をすかした大男が一人、山の中を歩いていました。その男は、もうお腹がへって、お腹がへってフラフラ、今にも倒れそうです。
 すると、ちょうど目の前においしそうに赤く熟したリンゴがたくさん成っているではありませんか。男は一目散に走りより、ムシャムシャ、ムシャムシャ。そのおいしいこと。あまりのおいしさに手の届くところ全て取ってしまい、食べきれないほどのリンゴを抱え込んでムシャムシャ、ムシャムシャ。。。じきに男はお腹が一杯になり、「グー、グー」とその場で眠ってしまいました。

 そこに、リンゴの木の持ち主がやって来ました。木の下に転がるたくさんのリンゴと、高いびきの男の姿を見た持ち主は、カンカンに怒って男を叩き起こします。
 謝っても、謝っても、いくら謝っても許してはくれません。そのうち、

「じゃあ、一つ言うことを聞いたら許してやる。」

と、持ち主は言いました。

「それは何でしょうか?」

「おまえが取ったリンゴを、今すぐ全部食べることができたら、許してやる。」

 さて、こうなると大変です。もう男のお腹は一杯。山のようなリンゴは口に詰め込んでも一向に減りません。さっきまであんなにおいしかったリンゴが、男に苦しみを与えます。

 一日かけてリンゴを食べ終わり、深々と謝って男は去っていきました。

「おいしい」という喜び、
「まだ足りない」という不満、
「もうたくさんだ」という苦しみ。

 同じリンゴでも、人間、味わい方一つで、こうも違ってくるのです。
 食べ物でなくともそれは同じ。知っていても私たちは欲しがる。もっと、もっと。

 これを「貪欲」と申します。「貪」とは「むさぼり」。人間なかなか「貪」の煩悩から逃れることができませんね。

 法然上人も「煩悩捨てが足し」とおっしゃってます。私たちは内包する煩悩といかに付き合っていったらよいのでしょうか?

 まずはこの秋
「味覚狩り」「食べ放題」の看板にご用心。



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