涼しい春も完全に終わり、またジトっと暑い日本の夏が近づいて参りました。この夏はいったいどんな夏になるでしょうね。天気予報によりますと平年並みとの事ですが。。。
六月一日は気象記念日に選定されているのをご存じですか?。
明治八年六月一日東京で気象と地震の観測が始まったのを記念して制定されたものです。明治十七年六月一日には全国の天気予報が開始されています。当時の天気予報は
「全国一般、風ノ向キハ定マリナシ天気ハ変ワリ易シ 但シ雨天勝チ」
という一文で、全国一律で1日1回、また発表の方法も、東京市内の交番に掲示されただけ、というものだったそうです。まあ、大変おおまかなものですね。そんなことから昔は「天気予報を聞きながらフグを食べれば当たらない」と冷やかされたそうですが、現在に至っては3ヶ月先の天気予報までしておりますし、
週間天気予報の的中率 70%
明日の天気の的中率 80%
と言うぐらいですから、技術の進歩はすごいですね。
その反対に天気予報に対する満足度が落ちている。との話もあります。気象庁の調査で、「満足している」は14%しかなく、「予想が外れる」ことに不満が多い。最近では「暖冬予想」が外れたことに不満が募ったみたいですね。季節物商売をしておられる方や、農作物を育てておられる方にとって天気の善し悪し、気温の高低は生活の一大事であると思います。そうでなくとも、かさばる傘を持って出かけたものの青空見えるいい天気だったら、なんだか損をした気分になりますもんね。
それだけ信じて、頼っているのかもしれません。
先日、ドラマの台詞だったでしょうか、
「俺の人生の天気予報があったらどんなにいいだろう。」
というフレーズをテレビから聞きました。確かにあったら便利かもしれませんが、さてどうでしょうか?
いい予報ならば、それは楽しみで楽しみで待ち遠しいことでしょう。でも、いいことが続く保証はありません。悪い予報ならばどうしましょう?逃げて逃げて逃げまくるのでしょうか?また予想がはずれた時、その不満は天気予報の比ではないですね。
なにより先の見える人生って楽しいのでしょうか?
「栄枯盛衰」と申します。
十年後。五年後。一年後。一ヶ月後。一週間後。明日。どうなってしまうかわからない私たちですから、何か一つ、100%信じられるものを持ちたいですね。
法然上人のお言葉から
「はじめには わが身の程を信じ、
のちには佛の願を信ずるなり。」
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