2019/01/20 公開
聖阿上人、、、
奥院の第41代で、戒名は審蓮社諦譽上人聖阿一如現定大和尚
徳本上人の弟子として江戸末期、荒廃がすすむ寺をいくつも復興した名僧です。いまでも近隣の住宅に名号の掛け軸が残ることから、人々に慕われていた様子が想像できます。奥院では庫裏を復興し、寒牡丹で有名な近隣の石光寺も聖阿上人によって復興し、中興上人として奉られています。
来歴
1767年、大和国畑ヶ田(香芝市尼寺)池田与三兵衛の六男として生まれる。
1777年、京都知恩院に入り、知恩院57世檀譽貞現上人のもとで剃髪得度。最初は現察と名乗ったが、のちに現定と改める。
1780年、江戸小石川伝通院42世統譽円宣上人に師事し宗乗を修める。在寮中、50日間の如意輪供を修する。
1791年、京都清浄華院にて徳本上人に出会い弟子となり、名を本定と改め随従するようになる。
1803年1月11日、京都鹿ヶ谷法然院の住職となる。第17世
1807年5月7日、法然院を辞したのち、奥院の住職となる。
1816年、奥院庫裏を再建する。
奥院の復興に尽力し、多くの弟子を育成する。特に尼僧の養育に力を尽くした。
1837年2月17日、尼寺として香塔寺(王寺町畠田)を復興。同時期に禅月庵(滝田)、春日庵(三宅町)を建立。
晩年、奥院を弟子の現阿に任せ、石光寺に隠遁。律院として再興し、普照律院石光寺と号す。常行念仏三昧の生活の中、往生を遂げる。
・徳本行者十大弟子の一人
・浄土宗捨世派
・明治の福田行誡上人は孫弟子にあたる。
↑奥院に残る名号石↑